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33.富山県との意外なご縁

 チューリップ・テレビという局のインタビューを受けました。地方の放送局にはそれぞれの土地にちなんだ名前が付けられていることが多く、たとえば先日の中越沖地震で、混乱する現場から被災者の方々を元気づける放送を続けたのは、ピッカラという名前のFM局でした。これは新潟民謡「三階節」の歌詞の一節から取ったものでしょう。チューリップならこれは当然富山県ということになります。

 取材に応えるのになにかいい話題でもないものかと考えているうちに、実は富山県と私たちの展示資料とは密接な関わりがあるのに気付きました。富山県に高岡という市があります。ここは銅器と漆の町として有名で、全国でも珍しい専科の高校を擁しています。高岡工芸高校といい、明治27年10月に創設(当時は高岡工芸学校)された工業と工芸の専門学科のみの学校です。実は明治の頃からこの学校の卒業生は装身具のデザイナーとして御木本で活躍してきました。

 明治26年に半円の養殖真珠をつくり出した御木本幸吉は、その真珠を用いた装身具の製作に際してデザインの重視性を認識し、自らの店に図案部門を設けてデザイナーを次々に採用します。最初に招聘されたのは東京高等工業学校出身の淵江寛という人物で、図案主任として数々の業績を残しました。新人デザイナーの採用について淵江は、同窓で高岡工芸学校の教師をしていた加島英二に相談し、同校の卒業生石塚与作(漆芸科を終え上京。東京高等工業学校の工業図案科卒業) を明治41年に採用。その後も御木本には同校の卒業生が多数入店し、図案家として活躍することになります。高岡工芸学校は図案を描くのに極細の面相筆を使い、この描写技法は御木本の伝統として伝えられています。御木本様式といわれるデザインには高岡工芸で培われた技能が生かされているといえるでしょう。

 この外にも高岡の伝統である漆工芸技術が、御木本の美術工芸品を製作する上で重要な役割を果たしています。博物館の二階で展示している昭和14年製作の「自由の鐘」は銀製の鐘の周囲を真珠で覆った美術工芸品ですが、この作品の星条旗を模した台座に採用されたのは高岡の漆技法です。これは当時、御木本真珠店の図案主任をしていた小竹幸作が高岡工芸の出身であることから、富山県工業試験場に仕事を依頼、当時、漆工部主任技師で後に人間国宝となる彼谷芳水が中心となって作られたものです。

 こんなご縁のひとつでもお話できればと思っていたところ、先方の注文は発明家としての御木本幸吉についてごく短く、といういたってシンプルなもので触れることはできませんでした。真珠や装身具をキーワードにして各地域との様々なつながりを調べ、まとめてご覧いただく機会を作るのも面白いかも知れません。

美術工芸品「自由の鐘」

美術工芸品「自由の鐘」

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