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36.吉松の読み書きそろばん

 今年は御木本幸吉翁が生まれて百五十年目の節目の年にあたります。私事ながら人生も五十を半ば過ぎると、百五十年という時がそれほど遠い昔とも思えないような気になるのですが、なんといっても江戸時代の話です。その時代のことについてはわからない点や思い違いなど多々あるはずで、もう一度点検するのに良い機会ともいえるでしょう。

 たとえば、安政五年生まれの幸吉翁、幼名吉松は寺子屋に通い、読み書きそろばんを習った、と多くの伝記は記しています。他に洋学者の所で簡単な英語を習った、ともありますが、要するに正規の学問を受けなかった、ということです。では当時の寺子屋で教えた「読み書きそろばん」というのはどのような内容だったのでしょうか。

 『鳥羽市史』によればこの地方の寺子屋の資料は極めて少ないのですが、手紙のお手本や日常生活の心得、地名などをおさめた「往来物」と呼ばれる教科書が使われていたようです。なかでも『寺子調法記』は総合的なテキストで、倫理、道徳、文学教養、政道、実業、書道、地理、詩歌、暦、易の見方から不動産売買の実務まで収められていました。『市史』の著者は「この一冊をマスターすれば当時としてはたいへんな知識人となるはずである」と記していますから、誰もがこれらの内容を完璧に習得したとも思えませんが、それにしても「読み書きそろばん」から連想される単純なイメージの域を出ていることには驚かされます。吉松少年がどんなテキストを使ったのかは不明ですが、旺盛に様々な知識を吸収したのでしょう。後に、折りに触れて残したいくつかの言葉は、寺子屋時代の勉強を通じて得た儒教的な倫理観や道徳観が基本になっているのかも知れません。

 一方、鳥羽藩は藩士教育のため、文政年間に藩校「尚志館」を創立します。教授には漢詩人、儒学者、漢学、書などの学者と砲術や柔術の専門家を招聘しました。初代の学長となったのは小浜大海という儒学者です。この人物と柔術の教授だった荒井十内はともに名声高く、「志摩三万石に過ぎたるもの」として青峰山の山門とともに挙げられ、俗謡にうたわれるほどでした。余談ながら小浜大海の名は佐藤雅美の『江戸繁盛記』に主人公寺門静軒の兄弟子として登場します。作品ではあまり活躍の場面はありませんが、実在の本人はそうとうな奇人だったらしく、逸話が伝わっています。

 また、漢詩人の鷹羽龍年はこの地方の名勝旧跡の碑文の多くを作っていて、鳥羽城を讃える詩が知られています。漢詩は成人教養の必須科目のひとつでした。

 寺子屋から藩校に話が飛んでしまいましたが、単に「読み書きそろばん」として了解していた事柄の背景に、江戸時代の鳥羽の教育という広い領域が見えてきそうです。さらに視野を全国に広げるとさまざまな流派の儒学者や国学者、各地の藩や私塾の台頭といった主題が見えてきます。その意味で伝記は多様な分野への入口を無数に宿しているといえるでしょう。

 それにつけても、鳥羽の歴史を概観できるような資料館なり博物館がないのが不思議でなりません。

寺子屋イメージ

寺子屋イメージ

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