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44.「自由の鐘」は70歳

 博物館二階展示室の工芸品「自由の鐘」は、1939年のニューヨーク万国博覧会でデビューした作品なので、今年でちょうど70年を経たことになります。この機会にその来歴を少し見ておきましょう。

 ニューヨーク博覧会はアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンの就任150年を記念して、「明日の世界」のテーマのもと、39年から40年にかけて同地で開催された博覧会です。会期中の入場者は4500万人で1900年のパリ万博を上回る成功を収めました。しかし明るい未来を願うテーマと裏腹に同年9月にドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まり、世界は闇に閉ざされることになります。

 「日米親善のバトンを渋沢栄一から受け取った」と自負する御木本幸吉は、悪化する日米関係を民間の努力ですこしでも改善の方向に導こうと積極的にこの博覧会に参加します。そのモニュメントとして選んだのが、アメリカ独立の象徴ともいえる「自由の鐘」でした。

 この鐘は1776年にフィラデルフィアで独立宣言が行われた時をはじめとして、毎年の重要な行事の際に打ち鳴らされ、当時は「独立の鐘」と呼ばれていました。その後1839年、奴隷制度反対運動の際に鳴らされ、これを機に「自由の鐘」と呼ばれるようになります。

 話は遡りますが、御木本幸吉は大正14年の秋から翌年の夏まで世界一周の旅に出、フィラデルフィアで開催中の万国博覧会を訪れます。この博覧会には「五重の塔」をアイキャッチとする御木本の陳列ブースを出品していたので、その視察を兼ねてのことでした。博覧会場の入口ゲートには巨大な「自由の鐘」の作り物があり、夜間、本体に付けられた無数の電球が点灯して鐘自体が光輝く仕掛けは観客の注目の的となりました。

 この博覧会自体がアメリカ建国150年を記念した催しで、鐘は入口の装飾としてふさわしいものだったといえるでしょう。その鐘の仕掛けに、陳列の仕事で渡米し、会場に連日出入りしていた幸吉の側近加藤虎之助が注目します。加藤はこの巨大なオブジェの出来る様子をつぶさに観察して、イルミネーションとして使われる電球の代わりに真珠をつけた工芸品を作ることを思いつきました。その後、実際の鐘が展示してある独立記念館を訪れて、寸法や詳細の資料を調査するなど準備を重ね、ニューヨーク博覧会の展示品として制作に漕ぎつけます。幸吉はフィラデルフィアで鐘の輝く様子を見たはずですから、この提案に大きく頷いたに違いありません。

 漆と貝細工を用いた台座は富山県高岡市の県立工業試験所が担当、制作責任者の彼谷芳水は後に人間国宝となる漆工芸の第一人者でした。また、銀製の鐘の本体は東京下谷の打ち出し職人黒川義勝の工房で作られています。ちなみに鐘の周囲につけられた真珠は針金を通したネックレス状のものを一列ずつ巻きつけて固定しています。正面の青い真珠は実際の鐘にあるひび割れをあらわしたものであることはよく知られた通りです。

博覧会場の「自由の鐘」の昼

博覧会場の「自由の鐘」の夜

博覧会場の「自由の鐘」の 昼(上)と夜(下)



「百万ドルの鐘」として喧伝された

「百万ドルの鐘」として喧伝された

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