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48.ジャズ・フェスの頃

 鳥羽みなとまつりの夜に、花火見物の会場として島を開放したところ3,000名を越える方々がお越しになりました。浴衣がけの女性も多く、普段とは違った真珠島の雰囲気を楽しんでいただいたようです。にぎやかに交わされる会話の内に、ジャズフェスのときにここで踊った、という一言を聞き、その頃のことを思い出しました。

 昭和63年の第一回から平成5年まで六回にわたり、鳥羽で野外ジャズコンサートが開かれていました。もう20年も前の話です。パールアイランド・ジャズ・フェスティバルとして当初鳥羽青年会議所が主催し、その後は観光協会が引継いでしばらく夏の恒例行事として親しまれました。五回目までは真珠島の広場、最終回は港近くの佐田浜駐車場が会場でした。おりしも全国的に夏の野外ライブ真っ盛りの時代で、バブル崩壊後とはいえ、まだまだその活力が続いていた頃のことです。

 第一回の出演者は日野晧正、シャープス&フラッツ、中本マリといった、当時の野外ライブでお馴染みのセット。島内銅像前にステージを組み、この時の入場者も3,000名だったと記録にあります。第二回目は渡辺貞夫、東京ユニオン、中本マリ、世良譲。平成二年の第三回目はMALTAとヴォーカルはたしかチャリート、第四回は梅雨明け当日の日曜日。この回まで開催は7月21日に固定していました。出演はトロンボーンの向井滋春とサックスが峰厚介のユニット、カシオペアにヴォーカル笠井紀美子がフィーチュアされ、でも70年代半ば、スリーブラインド・マイス・レーベルの時代の「イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー」では峰厚介と笠井紀美子は共演していたのに、今回のステージは別だったのでちょっとがっかりしたことなど思い出します。

 我々従業員はスタッフとしてそれぞれの持ち場で仕事が振り当てられていたので、ライブに興じる余裕はなかったのですが、辺りを制して響き渡るホーンの音、沸き起こる拍手と大きなどよめき、ふだんにはまず見られないようなコスチュームを身にまとったお客様が作り出す会場の熱気を感じて、結構楽しく過ごしていたように思います。ミュージシャンの世話役に当たったものは日常接することのないスターに近づけるだけで興奮の様子でした。大げさなようですが、この日は盛大なる「ハレ」の日として、音楽の神々の降臨に一同が会して共に楽しむ饗宴の一夜だったといえます。ジャズという、客席との交流による即興性の高い音楽であればこそ、そういう場の成立が可能だったのでしょう。開催のための労力と時間、費用は相当なものだったはずですが、その時々の来客の表情は満足で輝いているように見えました。

 さて、住人二万ほどのスイスの小さな保養地モントルーでは、7月上旬にジャズフェスティバルが開催され、毎年人口の十倍を越える来客で賑わいます。すでに40年以上の歴史があり、名前を冠したライブの名盤も多数発売されて世界的に知られた所ですが、もとはこれも町おこし事業が発端だったそうです。大成功したから、いやあ、実は動機はこんなことでね、と笑っているのかも知れません。

平成2(1990)年会場を埋め尽くす観客

平成2(1990)年
会場を埋め尽くす観客



平成3(1991)年ステージ上は向井滋春と峰厚介

平成3(1991)年
ステージ上は向井滋春と峰厚介



同年 カシオペアのステージに湧く観客

同年
カシオペアのステージに湧く観客



峰厚介の初リーダーアルバムに貰ったサイン

峰厚介の初リーダーアルバムに貰ったサイン



「イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー」にも貰った

「イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー」にも貰った

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