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49.文人たちの称えた風景

 風景にはふたつの力がある、と分析をしたのは19世紀イギリスの美術批評家ジョン・ラスキンでした。ひとつは実際的な力で、風景を構成する海や山からはさまざまな産物がもたらされる。もうひとつは、その海や山を訪れた人になにかを考えさせる力で、思索的な側面といってもよいかも知れません。正確な言い回しではありませんが、概要はこんなことだったと思います。我が湊町に当てはめて言うと、豊富な海の幸に恵まれた鳥羽は同時にまた文人墨客が訪れる景勝の地でした。江戸時代、日本の各地からそれぞれの講などで伊勢を訪れて念願の参宮を済ませた団体旅行者は、その後、古市で精進落としをして帰路につくのですが、なかには更に伊勢の奥地を訪ねる旅人もありました。とはいえ、今のように道が整備されているわけではなく、往来は大変だったようです。

 その様子を司馬江漢の『西遊日記』に見ることができます。江漢は日本で最初のエッチングや油絵を作成したことで知られる江戸中後期の異能の画家で、天明8(1788)年の春に江戸を立ち、長崎に向かう途中で伊勢と鳥羽を訪ねています。夫婦岩を「聞きしよりザットしたる処なり」と一瞥した後、二見から鳥羽へ向かいますが、ほとんど道なき道といった状態で、岩場伝いに潮の引いたのを見計らって歩みを進めるほどだったとあります。途中で道を失い、たまたま出会った子供連れの老婆の後に付き、磯に出て、岩に乗り、海に入りとさんざん苦労した末に鳥羽に辿りつき、宿に旅装を解いた後、日和山に登って景色を眺めました。「小さき亭の如きありて四方を眺むに、嶋数々見へ、能き風景なり」と記してスケッチも残しています。道中難儀しただけに、目の前に広がる風景の美しさもまたひとしおといったところだったのでしょう。

 翌日、江漢は船を雇って、今度は海から山の景観を眺めながら伊勢に戻ります。今のように整った施設の一つとしてない鳥羽に遊んで、なにやら楽しげな様子が伝わるのはなぜなのか。江漢より遡ること百年ほど前には、俳諧師の大淀三千風が日和山に登り、その景観の素晴らしさを『日本行脚文集』に書き残しています。三千風は当時、俳諧の主流であった談林派に属し、一夜に三千もの発句を作ったことからこの名前をつけたというほどの才人でした。井原西鶴はさらに一晩一万の発句を作り、三千風の記録を塗り替えています。三千風の『日本行脚文集』はどちらかというと装飾過多の才気溢れる文で綴られて、褒め言葉が上すべりしているような印象ですが、ともかく鳥羽の風景を絶賛している。風光明媚の地として名前の周知に貢献したかも知れません。

 ほかにも江戸後期の儒学者にして詩人の菅茶山も鳥羽を訪れ、漢詩を残しています。風景の力のうちでも、ものを考えさせる力は、見なれた土地の住人よりも遠来の旅人に強く作用するのは当然のことなのでしょう。海と山とが織り成す風景の美しさだけで満足できたのは、その美しさが今よりも優れていたからなのか、それともこちらの感受性が鈍くなったのか。時には旅人の目で今の景色を眺めて考えてみる必要があるようです。

『江漢西遊日記』

『江漢西遊日記』



真珠博物館からの眺め

真珠博物館からの眺め

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