知る 学ぶ 楽しむ
真珠王からのメッセージ 海女 パールミュージアムコレクション 入場料金 チケット情報 営業案内 アクセス 真珠島のパワースポット 島内マップ よくあるご質問 ホームに戻る
HOME > 学ぶ > 館長のページ > バックナンバー 一覧 > 52.白隠禅師と御木本幸吉

52.白隠禅師と御木本幸吉

 静岡県沼津市にある松蔭寺は江戸中期の名僧白隠禅師がいたことで知られています。白隠(1685~1768)は松蔭寺のある原の地に生まれ、諸国の名僧達に師事した後、この寺の住職となった人物で、臨済禅を中興し、多くの弟子と信者を育てました。自ら極貧の食事と厳しい修行を課し、その徳を慕って全国から四百名もの修行僧がこの地に集まったといいます。また、民衆への教化の手段として書画を良くしたので、目玉をぎょろりとさせた達磨さんやおどけた布袋さんの画を思い起こす方があるかもしれません。

 この白隠禅師を御木本幸吉はたいへん尊敬していました。幸吉の実家の宗旨は浄土宗でしたが、交際の範囲が広がると曹洞宗のお坊さんたちと親しくなり、本人としてはどうも禅宗が性に合っていたようです。その繋がりで白隠禅師の事蹟を知り、わけても質素を旨とするその生き方に共鳴したのでしょう。

 この白隠禅師のお墓は松蔭寺の裏手にあって、東海道線の列車の中からも見ることができます。幸吉が東京と鳥羽の往来の際、ここを通るたびに気になっていたのは、ありかの目印がペンキ塗りの木標であることでした。五百年間不出といわれた名僧白隠和尚の塔所を示すのにはあまりにみすぼらしいと感じた幸吉は、大正九年、知己の僧侶を通じて石標の寄贈を申し出ます。これが受け入れられて、一丈(約3メートル)ほどの立派なものが出来た、とここまでは『伝記御木本幸吉』にありますが、この石標をなかなか実見する機会が得られませんでした。東海道線の原駅は新幹線三島と静岡の間にあり、予定の詰まった出張で途中下車というのは意外と難しいものです。

 先日、ようやく時間を作り、雨の中、現地を訪れました。松蔭寺は駅からタクシーでワンメーターのところにあり、晴れた日なら歩くに差し支えない距離です。東海道五十三次の14番目の宿場である原は、富士山が美しく見えるところとして知られますが、生憎の空模様では望むべくもありません。確かめたかったことは二つあって、まずその石標が存在するかということ、そしてその標の裏になにか文字が刻まれているか、ということでした。というのも、幸吉は同じように尊敬する二宮尊徳の生家への道を示す石標を、御殿場線松田駅の構内に残しましたが、裏には何も記されていません。「売名はいやだ」という幸吉の考えによるもので、松蔭寺の方もきっと何も記されていないだろうと予想して、寺の裏に廻ると、大きな石標が目に入りました。表の「白隠禅師塔所」の文字はすぐ近くを通る列車からも容易に見ることができるように配慮したものでしょう。予想通りに裏にはなにも記されていないのを確認して、ちょっと安心した気分になりました。

 寺のご住職に伺うと、御木本幸吉の寄贈であることは、話としては聞いているものの、裏付けとなる史料などはないとのこと、後世のために、幸吉があえて名前を記さなかったことも含めて、なんらかの形で伝えたいとのご意向でした。

 原駅から静岡に向かう途中で雨が上がり、富士山が姿を現しました。白隠の画に添えられた賛にいう「おふじさん 霞の小袖ぬがしゃんせ 雪の肌えが見とうござんす」を思わせる良い眺めでした。

大本山松陰寺の山門

大本山松陰寺の山門



白隠禅師の塔所を示す石標

白隠禅師の塔所を示す石標



塔の裏には何も記されていない

塔の裏には何も記されていない

バックナンバー一覧に戻る
page top
  • 御木本幸吉記念館
  • 真珠博物館
  • 館長のページ