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58.「しんじゅ」の頃

 今、お読みいただいているページのタイトル「ウェブPARURU」についてお話ししましょう。昔、郵便局のキャラクターがリスさん一家だった頃、貯金通帳は「ぱるる」という名称でしたが、もちろんそれとは関係ありません。実は「ウェブ」になる前、「PARURU」という真珠島の情報誌があって、その表題を踏襲しているというわけです。

 「情報誌PARURU」は1996年春の創刊、A4版オールカラー4ページ構成で、季刊(年4回)発行された紙メディアです。2004年冬号まで30号を数え、その後ホームページの開設でその役目を終えました。表紙は毎号凝ったオブジェで、季節に応じた特集を中面見開きで使い、コラムや商品情報などなかなか多彩な内容でした。特集取材には社内スタッフが外部の制作スタッフに同行し、画面にも時おり登場しています。

 この「情報誌PARURU」が発行される前にも紙メディアがありました。名称は「しんじゅ」といい、創刊は1978年5月、こちらも原則的に季刊で、1993年11月まで60号が発行されました。最初の4号までは直径16センチほどの円形で12ページ建て。ホッチキス留めの箇所が切り落とされています。内容は真珠島内の話題だけでなく伊勢志摩全域の観光情報を盛り込んで、広く誘客につなげようという意気込みが感じられます。この円形の広報誌は話題となった様子ですが、5号からはモデルチェンジして、貝殻のかたちになりました。やはり毎回特集を組んでいて、たとえば1979年9月発行の第7号では、当時完成したばかりの「姫路城」を取り上げています。内容は城の制作に当たった小西工藝社の小西氏の解説を要約した詳細なもので、今でも展示解説の際に引用するほどです。この貝のかたちは1981年秋の14号まで続き、翌年春の15号で版形はB6版、16ページに変わりました。多少私事を述べれば、この号から1986年の34号まで4年間、広報部員として編集に加わっていたので、やはりこの頃の「しんじゅ」には深い愛着を覚えます。ちょうど真珠博物館の設立準備の時期でもあり、その調査と合わせた取材ができたのも幸運だったといえるでしょう。取材エリアも伊勢志摩から県内、さらには県外に拡大し、真珠核の製造工場取材では岡山県まで出かけたこともありました。一行は制作代理店の営業、コピーライター、カメラマンを加えた4人がユニットとなり、打合せ、取材、文字原稿確認、写真の確認、レイアウト、数度にわたる校正など、なにしろすべてアナログなので、その作業の多さはとても現在の比ではありませんでしたが、小さな広報誌とはいえ、ものを作る楽しさを大いに味わうことができました。

 今、当時の誌面を見て気づくのは、本文文字の小さいことです。新聞雑誌など、印刷の文字は昨今すべて大きくなる傾向にありますが、この頃の写植文字の小さいことはちょっと驚きで、そういえば当時、上司の誰彼から、文字サイズが年配者への配慮に欠けている、君も歳を取ったら身にしみてわかるだろうと、注意されたことがたびたびあったものの、レイアウト重視を楯にして従わなかったことなど思い出します。ともあれ、発行された90冊に及ぶ小冊子を手にすると、これもまた歴史の重みというものか、という感慨をあらたにします。ホームページ以後って、こういう実感はどこで満たされるのだろう。

しんじゅ

『しんじゅ』



しんじゅ

『しんじゅ』



しんじゅ

『しんじゅ』



PARURU

『PARURU』

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