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61.海女の珠取り伝説

 開催中の展覧会「海AMA女―島のオトメは明日も潜る」は、伊勢志摩観光のアイコンとしての海女の役割を真珠島の60年の歴史と重ね合わせて構成しました。海女の潜水作業がどのようにして観光の素材となっていったかを、古い写真、絵葉書、みやげ物などから探ろうというもので、海女文化のぜんたいからするとごく一部を取り上げたに過ぎませんが、当館ならではの切り口かとも思っています。

 さて、先日、四国に渡り、東さぬき市の志度寺を訪れました。ここは「海女の珠取り伝説」の舞台となったところで、境内には海女の墓があります。「海女の珠取り」は能「海人」として知られていますが、あらすじを紹介しましょう。登場人物は藤原不比等と土地の海女、それに二人の間にできた息子の房前。藤原不比等も房前も奈良時代に権勢を誇った人物です。その昔、不比等は藤原氏の寺である興福寺のために中国の皇帝から三つの宝物を贈られますが、海上輸送中にそのうちのひとつ「面向不背」の珠を竜神に奪われてしまいます。それを取り戻すのに自ら志度の浦に出かけ、在所の若い海女と契りを結び、一子をもうける。このあたり、時間の流れが急速になって、あれあれという感じですが、ともかくその母親となった海女に、子供-房前を世継ぎとして出世させるからという約束をして、海に潜って珠を捜させる。海女はわが子可愛さに、刃物を携えて海底深く竜宮へ忍び込んで、上手く珠を取り返して戻る途中で竜神の眷属に追いかけられ、持っていた刃物で乳の下を切ってそこに珠を押し込めて浮上、珠は無事に戻りましたが、海女は息絶えます。

 さて、後に大臣として出世した房前は母親が海女だったことを知って志度を訪れ、たまたま出会った土地の海人にこのような経緯を聞かされるのですが、それを語った海人は実は母親の亡霊であり、房前の供養を受けてめでたく成仏するという、このような内容です。能では女人成仏を主題とした曲として知られています。

 志度寺は推古天皇33年(625年)の開創。十一面観音を本尊としています。寺のしおりには、天武天皇10年(681年)、藤原不比等が妻の「海人の墓」を建立した、と見え、また、持統天皇7年(693年)、藤原房前が母親の追善供養を行って千基の石塔を造立したともあるので、このあたりが話の背景なのでしょう。

 お気づきかも知れませんが、この話は先行するいくつかの原典があると思われます。まず、『日本書紀』の海人男狭磯の珠取りの話との共通性、男狭磯は天皇の命令でアワビの中にある大きな真珠を取りに潜ったのでした。もうひとつは中国の説話にある財宝奪取譚です。竜神に奪われる「面向不背」の珠は中に見える釈迦の像がどの角度から拝んでも同じ面が見える、というもので、まさしく美しい真珠の表面を思わせます。

 このお寺には重森三玲による「無染庭」という枯山水の美しいお庭があり、これも「海女の珠取り」を主題にしたものといわれています。中央の岩は寺の説明では真珠島ですが、能の台本によると「海女が珠をかづきあげ初めて見初めけるによって新珠島と申し候」とあります。そういえばこの真珠島も御木本幸吉にとって新珠島だったわけですね。

志度寺仁王門

志度寺仁王門



海女の墓

海女の墓



無染庭

無染庭

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