知る 学ぶ 楽しむ
真珠王からのメッセージ 海女 パールミュージアムコレクション 入場料金 チケット情報 営業案内 アクセス 真珠島のパワースポット 島内マップ よくあるご質問 ホームに戻る

69.開島の頃

 三重県内の博物館に勤める学芸員の集まりが定期的にあって、先日は自館の開館当時のことが話題となり、考え込んでしまった。というのも真珠博物館は昭和60年9月1日開館なのですが、館の立地するミキモト真珠島の開島は昭和26年3月12日で、博物館を名乗らなかったにしても当時から島全体が観覧施設だったし、さらに遡ると昭和4年の真珠ヶ島創設まで行き着くことになる。ここは御木本幸吉翁が日本の養殖真珠を海外からの来客に普及啓蒙しようという意図のもとに整備して公開した島なので、当初から博物館の機能の幾分かを備えていたことになります。どこを出発点にするか、なかなか悩ましい問題です。

 昭和4年当時の島にどんな資料があり、どのように活動していたのか、残念ながら記録は見つかっていません。昭和26年の開島当時のことはまだ写真や記事があるので、様子を探ることができます。当時のパンフレットには「真珠と海女の魅力」「自然と科学の新行楽地」と書かれており、ただの観光地ではなく真珠についての知見を得ることのできる教育的な場所であるという性格が強調されています。引き写すと次のような内容でした。

「海女の作業」 白衣の海女達が海に潜って、真珠貝、あわび、さざえ、うに、なまこ、海草などを採っております。

「養殖手術」 海女達が採取した真珠貝に、女工達が養殖手術を施しております。この手術は初めて公開されたものであります。

「養殖イカダ」 手術を施された真珠の母貝は金網のかごに入れられてイカダに吊るされ、長い年月を経て海の宝石・真珠を生みます。

「真珠工場」 女工達が採取された真珠を選り分け、いろいろな順序を経て首飾りに組み上げております。

「真珠館」 真珠養殖場全景、海女のパノラマ、珍しい真珠の標本其の他に関する参考品の陳列。

 「女工」という表現に時代が感じられる。要するに当時の御木本真珠ヶ島は真珠養殖場と工場を一体にした、今でいう産業観光の施設だったことがわかります。本来、それぞれの立地場所は異なるので、一箇所に集約して見せるという発想は画期的なものだったはずです。当時、保管していた資料点数はさほど多くなかったと想像されますが、その後のお客様の意識の高まりや時代の変化と要請などによって機が熟し、昭和60年の真珠博物館開館に到ったと考えれば、やはり、始まりはこの時に置くのが正解といえるでしょう。

 ところで開島当時のアメニティ施設は貧弱なものだった。売店と小規模な食堂がありましたが、観光地なのに酒の提供はおろか、持ち込みすら断るという規律があって、このことが一般の行楽地との差別化に大いに役立っていたのではと思われます。私企業の経営であるにも関わらず公共の場というイメージが強かったのも、ストイックな運営姿勢によるものだったかも知れません。

 開島間もない頃の真珠島

    当時の入場券

    当時の絵葉書袋

バックナンバー一覧に戻る
page top
  • 御木本幸吉記念館
  • 真珠博物館
  • 館長のページ