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77. 明治時代の真珠の値段

 冬は真珠の収穫時期。水温の下がるこの頃にアコヤガイの体内できめ細かい結晶が形成され、美しい真珠が育っているからです。採取した真珠は入札にかけられて、商品として流通することになります。その入札風景も冬の風物詩で、12月には伊勢市の真珠会館で三重、長崎、熊本、大分の真珠生産者がそれぞれの成果を持ち寄って今シーズン最初の会が開かれ、その後は産地別に2月末まで行われます。
報道(「伊勢新聞」12月22日付紙面)によれば、初市での匁(3,75グラム)当たりの最高価格は十ミリ珠で35,333円だった由。十ミリのアコヤガイ真珠の一個の重さはおおよそ0,4匁(1,5グラム)で、それだけで稀少価値を伴いますが、飛び切りの値段という感じはしないでしょう。
 では、昔の真珠の値段はどうだったのか。ここにあるのは明治二十七年、東京帝国大学教授の箕作佳吉が御木本幸吉に宛てた手紙です(写真1)。その前年、初めての半円真珠を取り上げた幸吉は、英虞湾に施設を構えて一族郎党と共に移住し、養殖事業を開始します。養殖場の仕事は義弟の久米楠太郎に任せ、自分は相変わらず東奔西走、商売発展の次の一手を練っていました。
 箕作先生は真珠養殖の可能性を示唆し、指導した学者ですが、一方では商人としての幸吉に顧客を紹介するという実利的な側面を持ち合わせた人だったようで、この手紙では外国婦人からの真珠の注文を取り次いでいます。この頃幸吉は天然真珠を扱って、目利きとして定評がありました。おそらくいくつもの入手ルートを持っていたのでしょう。
(前略)目下来遊中の米国婦人より2個の大なる真珠(中略)、何れも3ゲレーン(グレーン)以上の珠なること願わしき由。1ゲレーンは0分173なれば3ゲレーンは0分519即ち5厘2毛程なり。代価は1個に付き25円より50円あるいはそれより以上にても宜しと云う(後略)。
 ここで求められている重さ3グレーン、すなわち5厘2毛の真珠はどれほどの大きさか。アコヤガイ養殖真珠では5ミリ珠が0,05匁、つまり5厘に相当します(写真2)。
 実はこの5ミリ珠は天然真珠としては相当な大粒でした。『真珠の世界史』の著者山田篤美さんは「三重県水産試験場報告」(明治45年)を引用して、その稀少なことを強調されています。それによれば45,377個のアコヤガイを調査して、直径4,7ミリ以上の真珠が採れたのはわずか7個だった。じつに一万個の貝に真珠一つか、二つの勘定です。
 その購入希望価格が25円から50円、あるいはそれ以上出してもよいという。値段の比較は難しいのですが、たとえば同年、俳人正岡子規は勤めていた日本新聞社から月給30円を貰っていた(岩崎爾郎『物価の世相100年』読売新聞社)。まあ、いまでも高価な真珠はあるけれど、なんといってもこの小ささ、可憐さ。けれども当時はこれで大変な宝物だったのです。
 ということは、ここで半円真珠(写真3)の魅力というものも、改めて評価すべきかも知れません。半分とはいえ、比較にならぬほど光沢面が広く、装身具の素材として貝の美しさを楽しむ点では遜色がない。
 (真珠博物館2階で展示しています。)

 

 

 

 

 

 

 

箕作佳吉が幸吉に宛てた手紙

 

 

 

 

 

 

    直径5㎜の真珠

 

 

 

      半円真珠

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

    

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