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78. 三重の実業家たち

  本年度最終の地球塾講義で事務局から「御木本幸吉の郷土への思い」というテーマを与えられた。実は地球塾の参加者はここしばらく固定化していて、何度もこういう話はしてきたので、また同じかと思われるのもつまらない。そこで視点を変え、同時代の三重の実業家と比較することで幸吉の業績を相対的に見てみようと思い立ち、以下の内容で講義を行いました。
 明治から大正、昭和と活躍した三重県の実業家といえば伊賀の田中善助、飯高の大谷嘉兵衛、御木本幸吉、それに玉城の小林政太郎といったところが思い浮かびます。田中善助は電気王として知られ、大谷嘉兵衛は茶業王、小林政太郎はオブラートの発明家としてその名が残っている人物です。
 とはいえ、知名度の上ではいささか覚束ない。特に大谷嘉兵衛は日本の茶業の発展、特に明治時代の対米輸出振興に大きな功績のあった人物ですが、その活躍の舞台は横浜だったため、郷里の三重県では十分に顕彰されているとはいいがたいようです。
 弘化元年(1845年)、三重県飯南郡川俣村に農家の四男として生まれた大谷嘉兵衛は19歳で横浜に出て製茶貿易業に従事、しだいにキャリアを積んで製茶組合の会頭となります。そこで直面した問題は輸出先であるアメリカの関税問題だった。アメリカは米西戦争の費用を捻出するのに日本の茶に高率の課税を実施、そのため輸出量が激減します。
 大谷嘉兵衛はこの事態に対処するため、明治32年に渡米して廃止を訴えます。同時に日米間に海底ケーブルを敷設する計画を提示し、いずれも成功に導いている。なんともスケールの大きな人物です。
 田中善助は安政5年(1858年)、伊賀上野に下駄屋の長男として生まれます。御木本幸吉と同年です。生家の商売を嫌って親戚の金物屋に養子として入り、商売に精を出す。けれど一介の商店主として納まるには有り余るエネルギーと才覚を持った人物だった。やがて地元の河川を利用した水力発電事業に取り組みます。その結果、得た電気を家庭に送るほかに鉄道事業にも手を広げる。大正11年に伊賀と名張を結ぶ伊賀鉄道、大正14年には伊勢の朝熊登山鉄道を開通させます。
 この登山鉄道に関して御木本幸吉とひと悶着あった。というのも朝熊岳には御木本幸吉が別荘を構えていて、事もあろうに、挨拶もなくケーブルの山頂駅をその別荘の下付近に置いたから。幸吉はすっかり臍を曲げ、開通式に招待されても「田中のケーブルには生涯乗らん」といって、山頂の別荘への往来には籠を使い、わざわざケーブル軌道に沿って走らせたという逸話が残っています。
 宮川以南はおれの受け持ちと自負していた幸吉にしてみれば、はなはだ面白くないことだったでしょう。けれど、その後、さる宮様を別荘に案内するのにケーブルカーを利用する必要があって乗らなければならなくなった。もともと好奇心旺盛な幸吉のことですから、いい口実だったかも知れません。それ以降は乗り心地の良さを認めて、田中善助とも和解したといいます。
 地域の産品や自然資源を活用することで大きな発展につなげる事業のスタイルは大谷嘉兵衛、田中善助、そして御木本幸吉に共通するものです。いきおい、地域に対する貢献の意欲も高まるわけですが、この点においては御木本幸吉が群を抜いているように思える。大なり小なり、学校や道路整備など地元への寄付は多数に上ります。
 もう一人の小林政太郎は明治5年(1872年)、度会郡田丸村の生まれ。実家は薬種業を営み、父親は漢方医でした。小林は医師となるため上京、済生学舎(現日本医科大学)で勉強の後に帰郷し、開業します。
 小林は患者に投薬をするのに、当時使われていたドイツ製の厚く固いオブレイトを改良して、薄い軟式のオブラートを考案、特許を取得して工場を建て、生産に乗り出します。けれど特許権が切れると、同業者の出現もあって工場を閉鎖、もとの医者として晩年を過ごしました。上記の人々と異なり、医者が本業で、実業家というにはあたらないかも知れませんが、オブラートの発明家としては隠れもない人物です。
 大谷嘉兵衛には昭和6年に出た『大谷嘉兵衛翁伝』があり、復刻で入手できるようです。田中善助には『田中善助伝記』(前田教育会)が最良のテキストでしょう。小林政太郎には私家本の資料集があります。けれども大谷嘉兵衛も田中善助も小林政太郎も記念館がなく、その偉業の全体像を知ることができないのは残念としかいいようがありません。記憶装置としての記念館の役割が今こそ見直されるべきと思うのですが。

 

 

 

 

 

 

     大谷嘉兵衛

 

 

 

 

 

田中善助(財団法人前田教育会発行『田中善助伝』より

 

 

 

 

 

     小林政太郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

    

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