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79. 広告120年

 本年度の企画展は真珠の広告を通覧するものです。
 明治時代から現代までの120年間、新聞や雑誌向けに様々な真珠装身具の広告が作られました。それまで存在しなかった養殖真珠という商品を広く知らしめるためにはメディアの力を借りるのが一番で、広告図案は当然ながら時々の美意識や嗜好を反映していたと思われます。幸い、博物館収蔵庫には明治30年代以降の新聞スクラップが保存されており、まとまった量の広告も含まれているので、まずここから見ることにしましょう。
 御木本真珠店は明治39年末に今の銀座通りに出店しますが、それまでは晴海通りに面した元数寄屋町にあって、すでに英字新聞に広告を出稿していました。残っている広告を店の所在地別に年代を追って整理すると、当初はやや垢抜けないデザインだったものが明治40年になって見違えるように変化します。((写真1,2)仔細にその広告面を観察すると、絵の中にアルファベットのHFを組み合わせたサインを見ることができます。この頭文字から我々は渕江寛(ふちえ・ひろし)という名前を思い浮かべるのですね。渕江は御木本真珠店の草創期に装身具のデザイン(当時は図案といった)を手がけた人物で、もともと織物の図案家だったのを乞われて御木本真珠店に入店したのが明治40年。すると、彼は装身具だけでなく早々に広告の図案も受け持っていたことになる。この広告図案自体は初出というわけではありませんが、渕江寛の関与を指摘した例を知らず、これは今回の展覧会の発見です。
 大正から昭和初期になると御木本真珠店は雑誌『婦人画報』に出稿します。他の婦人誌に比べて大判で垢抜け、皇族や華族のお嬢様の写真なども掲載されて顧客層に合致する点が選ばれた理由でしょう。ここでも他の宝飾店が具体的な商品情報を載せているのに対して、御木本真珠店はイメージイラストを用いた贅沢な画面で差別化を図っているように思えます。また、この頃、海外向けに各種の啓蒙用パンフレットを作っていて、中には絵本仕立てのものもあり思わず見入ってしまいます。(写真3)
 そして戦後、真珠装身具の普及をたどるのに雑誌広告はまたとない資料といえるはずですが、残念ながらこの時代の雑誌は収蔵していません。こちらは古書店のお世話になるのが得策というわけで、御木本真珠店の広告が掲載されているはずの昭和30年代の『婦人画報』を求めてネット上の古書店を検索、掲載誌十数冊を入手することができました。
 そこでも思わぬ発見。というのも御木本真珠店の広告が受賞した記事のある『婦人画報』をたまたま引き当てたからで、これは大収穫でした。(写真4)この広告賞は「独歩賞」といい、おそらく『婦人画報』の創設者・国木田独歩に因んだものと思われます。審査員は新井静一郎、土門拳、亀倉雄策、幸田文、三島由紀夫の五人(凄い!)で、それぞれ、受賞広告「ニューデザイン」や同年の他の広告を大絶賛している。この頃、御木本真珠店の広告がさまざまの賞を得ていたことは社史にも触れられていますが、一次資料に遭遇するリアル感は格別です。
 他にも昭和20年代から50年代にかけてのパンフレットやハウスマガジンなど、蔵出し資料多数を展示します。単体では紙切れに過ぎないエフェメラ(「館長のページ」バックナンバー参照)が集合した時の異化効果というか、価値の変化する面白さをご堪能下さい。

 

 

 

(写真1)「ジャパンタイムス」明治39年

 

(写真2)「ジャパンタイムス」明治40年

 

(写真3)小冊子「AKOYAⅡ」

 

(写真4)『婦人画報』独歩賞講評記事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

    

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