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80. うなぎ 

     長い魚を前にポーズを決める御木本幸吉  


某月某日、友人数名と箱根に遊んだ帰り、三島で昼飯時となった。三島といえば鰻。富士の白雪が朝日に溶けて、溶けて流れた伏流水で磨かれた鰻はさぞ旨かろう。幹事が選んでくれた地元の名店という鰻屋の前で煙にむせびつつ並んで30分、座敷に通されて注文を済ませ待つことしばし、運ばれてきた重箱の蓋を開けて、おもむろに箸を取る。
重箱の飯を覆う薄い色のたれをまとった蒲焼は、箸を差し入れるとしな垂れかかり、然るのちにほろほろと崩れ落ちる。ふわふわ、とろとろ、柔らかく潰れて次第に形を失う身の断片を口に運んで、同じ鰻といえ、お国によってこうも違いがあるかと改めて感じ入る。三島の鰻は私にとっては別な天体の発見のようだった、といえば大げさか。
我が住まいする伊勢の鰻丼の、皮はパリッと、身はふっくらと弾力を保ち、その間から滲み出る脂が鰻の醍醐味。養殖なのにどこか野生を感じさせる川魚の匂いが鼻腔をくすぐる。艶のある濃い目のたれが、弾けた身と飯に遍くしみわたり、じゅるる(byくもみ©)、辛抱たまらん。まあ、優劣をいうより、食文化の多様性に思いを馳せるべきでしょう。
さて、御木本幸吉翁は鰻が好物だったと言い伝えられています。けれど、鳥羽生まれの幸吉は江戸の鰻に満足していたのだろうか。銀座の御木本真珠店では幸吉が鳥羽から上京すると「どんぶり会」と称する会が開かれ、この時に供されたのが鰻丼でした。ご馳走を食べながら忌憚のない意見を出し合おうという趣向ですが、主人の前ではなかなか自由に意見も言いにくい。そこで幸吉は、最初から良いことを言おうと思うな、悪い案も出せないものに良い案が出せるか、といって一座の気分を和らげたといいます。店員にとっては鰻の味もどこへやらといったところだったのでは。
丼はいつも名店・竹葉亭から出前を取りました。それは焼いて蒸して、さらにたれをつけて焼いた江戸前の蒲焼のはずで、溜りの濃い、脂滴る鰻になじんでいた幸吉や、同郷出身の店員にとっては、美味な、けれども別の食べ物だったかも知れません。ちなみに幸吉が地元で贔屓にした鰻屋は、今も志摩市磯部で盛業中の川梅で、この店には先先代の御主人が幸吉から貰ったという丸珠の定紋が付いた羽織が伝わっています。いうまでもなく、この店で供するのは濃い目のたれでこんがり焼いた蒲焼で、たいそう香ばしい。
幸吉は、鰻は真珠貝を食べる敵なので退治せねばならぬ、などと理由をつけている。鰻学の泰斗松井魁博士の名著『うなぎの本』によると、たしかに鰻は貝類を食べるとあるが、どの貝が好みかまでは言い及んでいないのは残念です。
また別の書物には、鰻は養殖籠に入り、衰弱している貝を襲って肉を食べることが報告されている。筏付近でとれた鰻を調べると消化器官中に真珠核の見出されることが多いそうで、昭和34年の伊勢湾台風や翌年のチリ津波のあとで、鰻の腹中からみごとな真珠が出たと新聞で報道されたことがあり、これらは浜揚げ直前で海底に落ちた貝を食べたものだと昭和40年に出た『真珠養殖全書』は記している。その頃には天然鰻が英虞湾や五ケ所湾に沢山生息していたのですね。
ここに載せた写真は長い魚を前にポーズを決める御木本幸吉。わざわざ写真師を呼んで撮影させたことから考えると、何か理由があったのでしょう。養殖場の貝を食い荒らしていたヌシを捕まえた記念かと思いたくなりますが、これは鰻ではなく、鱧でした。蒲焼か、それとも湯引きにしたのか。こんなに大きいと骨を切るのも大変だっただろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

    

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