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86. 「ティアラ展」

  4月25日開幕の展覧会『ブライダルティアラ』の準備を進めているところです。今でこそ結婚式にティアラは普通に使われていますが、その普及については昭和47年にミキモトが始めたレンタルシステムが大きく寄与しています。当初は和装に人気が集まり、ティアラの利用が定着するのは昭和50年代になってからのことでした。もちろん、それ以前にもドレスで式に臨む花嫁はいましたが、その場合、ヴェールとともに頭を飾ったのはヘッドドレスで、多くは手作りだったようです。もともとは豊穣や多産を意味するオレンジの花で頭を飾ったのが起こりといいますが、種類はともかく、花飾りを自分で作るのが花嫁の結婚準備のひとつだったわけです。
 このあたりの事情を知るには、当時の雑誌を集めてその推移を探るのが一番。というわけで、昭和20年代から40年頃の女性誌で結婚式の特集号を探索、『それいゆ』と『装苑』が網にかかりました。
 たとえば昭和23年発行の『ソレイユ6号 花の小筥』。巻頭を飾るのは「銀の花束」と題したドレス姿の花嫁で、モデルは若き日の女優津島恵子。小さな活字(8ポイントのこのフォントよりまだ小さい印象)で組まれた本文で、雑誌の主宰者・中原淳一は結婚衣裳についての考え方を述べている。戦後間もない頃のことで、満足な衣装を持つ人も少なく、戦前のような立派な婚礼衣裳は店頭にはない。それならば垢じみた貸衣装やかつらで芝居のような姿を演じるよりも、衣裳も髪飾りも自分で作って、借り物でない式をあげてはどうだろう、と自らがデザインしたドレスや振袖を提案している。布の断ち方が図示されていますが、実際に手がけた読者がいたのだろうか。他のページには部屋のレイアウトや生活雑貨の工夫を紹介する記事があり、身の回りの品に向けた中原淳一の美意識が窺えます。今に至る手作り指向の大先輩といったところでしょう。 
 昭和25年の『それいゆ14号』に掲載された「白銀のワルツ」という表題の花嫁衣裳紹介記事では、振袖に銀紙製の帯の自作を提案している。いくらもののない時代とはいえ、これが前衛的な試みであったことは容易に想像できます。こうした手作り志向は同時代の『装苑』誌上で、より本格的な形であらわれる。昭和23年、25年の10月号に掲載されたウェディングドレスの作り方は『それいゆ』に比べてはるかに実際的で、実際に試みた読者もいたかも知れない。昭和23年の誌面には幹俊太郎なる人の「結婚風俗考」というレポートがあり、こちらも興味深い。著者は取材のために日本橋高島屋(結婚式場があった)を訪れ、そこで担当部長から結婚衣裳の傾向を聞き取る。洋装は一割に満たず、衣料品不足の時代で貸衣装の利用が多い。たとえば振袖は1,500円から3,000円、洋装は1,500円。挙式その他の費用を合せれば最低3,000円、すこし派手にすれば楽に30,000円を突破する等々、具体的な数字が表れています。
 昭和30年代には雑誌『婦人画報』が毎年6月号で結婚式特集を組み、ウェディングドレスの着用を紹介しています。けれど桂由美さんの述懐するところでは彼女がウェディングドレスの仕事を始めた昭和39年当時、ドレスで式に臨む花嫁はぜんたいの3パーセントだったというから、雑誌が喚起するイメージと実態には相当の乖離があった。
 この展覧会ではそうした社会の変化を背景に織り込みながら、ティアラの普及についてご紹介する予定です。また、ミキモトがレンタル用に制作してきた数々のティアラを、時代を追って展示。見どころ多々あり、連休には恒例の着用体験も。乞うご期待。


 

昭和23年発行『ソレイユ6号 花の小筥』

 

 

昭和25年発行『それいゆ14号』

 

 

昭和23年発行『装苑10月号』

 

 

 

 

 

    

    

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