91. エビスさん
エビス、といってもテレビでよく見るあの人ではない。七福神のひとりで、特に大黒とペアを組むことの多い神様です。新しい年にあたって福にあやかっていただこうと、ここ数年、レファレンスカウンターに小さなケースを出して、展示しています。なぜ、真珠博物館でエビスなのかといえば、この収集が御木本幸吉の数少ない趣味だったからで、収蔵点数は約300点。島内の幸吉記念館ではコーナーを作り、その一部を常設しているけれど、大型のものは仕舞いきりなので、年に一度のご開帳です。
海を仕事の舞台とした幸吉は、漁の神様であるエビスを大切にして、その像を収集しました。像の収集が信仰心の発露なのかどうか、生涯に一万点を集めると、新聞のインタビューで豪語したが、それはさすがに大法螺が過ぎ、叶わなかったようです。
集めたなかで良く知られたものは、昭和4年、神戸で求めたという大きな石造のエビス像で、幸吉はこれを志摩に運ばせ、「当分の間、苦労をしてもらおう」といって、養殖場近くの海に沈めてしまいました。こうなると信仰心なのか何なのか、わからなくなりますが、19年後、引きあげてみると全身にびっしりアコヤガイが付着していたので、幸吉は喜び、「パールエビス」と命名。今でも英虞湾の養殖場を見下ろす高台に置かれて、英虞湾クルーズの船から見ることができます。
ところで、七福神の他の神様たちはその素性というか、由来がはっきりしているのに、エビスの本来は諸説あって定まらないようです。インド出身の大黒、毘沙門天、弁天様。寿老人や福禄寿、布袋和尚は中国出身だが、エビスさんは日本神話出身。けれど、色々な信仰対象をこの名前で呼ぶので、すでに室町時代の文献にも見えている通り、昔から謎めいた神様だったらしい。その姿は釣り竿を片手に、鯛を小脇に抱えているので、漁業がご専門だろうと想像がつくが、江戸時代には商家でエビスを祭る風習が起こり、それにつれてお姿も変容してゆきました。被り物も烏帽子だったり頭巾だったりと様々で、図像学で取り上げるには興味深い対象です。
これらのエビス像は骨董店か、あるいは市や夜店などで求めたもののようで、ほとんどは無銘ですが、中には慶長年間と彫られたものや、具体的に「矢作橋掛替紀念」と由来をしるしたものがあります。民俗学の学芸員に聞いたところ、エビス像は家屋の建て替えなどで神棚を新調したときに改める。その際に使われなくなった像が骨董商に流れることが多く、大正から昭和初期に店頭に出たのは江戸中期までの作ではないかという。
ところで、神棚で相棒を務める大黒の像を幸吉は「人にやった」という。コレクションをエビス一本に絞ったわけですが、そちらはどうも伊勢玉城の小林政太郎のもとに行ったらしい。小林は軟式オブラートの発明者で、地元に工場を置いて事業を展開、幸吉とも親交がありました。自宅に孔子廟を作るなど、こちらも一癖ある実業家だったようです。
幸い、揃いで残った組もあり、正月にはこれらのいくつかを展示します。多くはお燈明の油煙などで黒ずんでいますが、彫刻の巧拙や、持ち物、被り物、表情に様々な変化があり、見ていて飽きません。なにより、その福々しい笑顔は見ているものをも笑顔にしてくれます。福を招くには笑顔に勝るものはないので、せいぜいエビスさんのお顔を真似て呵呵大笑することにしましょう。免疫力が上がって、風邪の予防になるかも知れない。
小さな展示コーナー