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96. 歌謡曲

  収蔵庫の保存ファイルをぱらぱらとやっていたら「真珠貝の歌」のドーナッツ盤ジャケットを二枚発見した。ひとつは影山ひろ子という歌手の歌唱で、バックはハワイアンバンドのポス宮崎とコニー・アイランダース。今ひとつはビリー・ヴォーン楽団の演奏だ。「真珠貝の歌」は人気のあったハワイアンソングで、場内のBGMとして流したものでもあろうか。クレジットには1965年とある。あ、ドーナッツ盤というのは17センチ(7インチ)のレコード盤で、中央に大きな穴が開いていることからこの名前で呼ばれていました。
 そういえば昔は真珠のナントカ、とかナントカの真珠という題の歌謡曲がけっこうあったような気がする。タイトルだけでなく、歌詞にも真珠がしばしば用いられていたように思う。雨を小粒の真珠に譬えれば、私たちの恋はピンク色の薔薇の花のようなものである、という橋幸夫の曲が口をついて出てくるといえば年齢がわかるか。雨が真珠とはいかにも健全にして陳腐な比喩だが、このレトリックが効果を発揮していた時代が確かにあった。
 記憶をたどると中村晃子に「嘆きの真珠」、スパイダースは「真珠の涙」、そうそう、荒木一郎には「淋しげな真珠」という佳曲があったのを覚えている。ノスタルジックなマイナーの旋律で、遠く離れた恋人に寄せる思いを真珠に託すというような内容だ。荒木一郎の初期の曲には歌詞もメロディーも感傷的な雰囲気のものが多く、郷愁を誘われる。東海ラジオで「星に歌おう」を聞いていた方、お便りください。
 その時代(1960年代後半)の真珠にはまだ作詞家に好ましいイメージを想起させる力があったといえるが、昭和も末期となるとそう簡単な図式では済まなくなる。井上陽水が中森明菜に提供した「飾りじゃないのよ、涙は」(1984年)では、私は恐怖などで泣くことはなく、もし何かほかの理由で泣くことがあったとしても、その涙は真珠に譬えられるような美しいものではない、と言い切っている。また、松任谷由実「真珠のピアス」(1982年)はタイトルだけでなく、歌のストーリー展開に真珠のイヤリングが扱われている。あなたとは別れることになるが、私はベッドの下に真珠のピアスを片方残しておこう、あなたの新しい恋人がそれを発見して騒動になることを私はひそかに期待している、といった短編小説になりそうな歌詞だ。エッセイ集『ルージュの伝言』(角川文庫、1984年)には、ファンの女の子から送られた日記中の実話とあるが、単純な比喩ではなく、小道具に真珠が使われた事例として永く記憶にとどめるべき名曲です。
 平成以後はさしたる曲も思い浮かばない。もはや真珠は作詞家の想像力をかきたてる対象ではなくなったのか。それとも私が知らないだけか。昭和末期でもうひとつ印象に残っているのは岩崎宏美の「真珠のピリオド」(1983年)である。松本隆、筒美京平のゴールデンコンビによる、この曲はなにかのキャンペーンがらみでリリースされたと記憶しているが、ピリオド=終止符とは今にして思うとなんとも不吉であった。このあと、新種の赤潮プランクトン被害や貝の大量死、海外での増産など我が国の真珠産業にとって困難な時代が到来することを予見していたかのようなタイトルではないか。もちろん歌詞はそんなことと関係なく、個人的には好きな歌なのですが。

【講演会のお知らせ】
 三重県博物館協会の主催する「ミュージアムトーク」でおしゃべりすることになりました。11月23日(祝)1時30分~3時30分、会場は松阪市産業振興センター3階研修ホールです。真珠ジュエリーの見方についてお話するつもりで、歌謡曲の話ではありませんので、念のため。大勢のご来場を願っておきます。
 お問い合わせは三重県総合博物館内の協会事務局まで。(℡059-228-2283)


 

「真珠貝の歌」 影山ひろ子

 

「真珠貝の歌」 ビリー・ヴォーン楽団」

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