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98. 貝柱

  アコヤガイの貝柱をスーパーの魚売り場で見かける時期となった。真珠養殖の副産物として採集されるので、浜揚げが行われる12月から1月にかけての味覚としてこの地方ではおなじみです。正確には貝の閉殻筋という部位で、二枚貝の貝殻両側をつないでおり、刺激を受けると収縮して貝殻を閉じる働きがある。
 養殖真珠の採取は、手にしたアコヤガイの貝殻に沿って出刃を入れて貝柱の一方を切り、殻を開いて返す刀でもう一方をそぎ落とす。真珠が入っているはずの内臓部分は別に取り置いて、まとめてミキサーで粉砕する。そしてスムージーのようになって沈殿する身の底から真珠を取り出します。アコヤガイの粘液はアミノ酸の宝庫で、化粧品や健康食品の原料として利用されるし、また、身の残滓はコンポストで処理され、無駄がない。この一連の作業を浜揚げと称し、締めくくりの、いわば収穫祭。
 昔は現場で採れたばかりの貝柱を入れたどんぶりがお昼の作業員の前に出されたものだったが、今はどうなのか。青臭いような、この貝特有のにおいがあって、生で食べるのも限度がある。珍味に違いないが、しかるべき調理をしたほうが美味しい食材です。だいたい、アコヤガイそのものは食用としては珍重されず、明治の『三重県水産図解』には「美味ならざる」と評されているほど。しかし、所変わればで、江戸時代、九州の大村ではお殿様が客人をもてなすのに、アコヤガイの吸い物を供し、身から真珠が現れ出るのを楽しんだという。まあ、そういう余興のためにはうってつけかも知れません。
 さて、ここにご紹介するのは、そのアコヤガイ貝柱の加工品に貼られた古いラベル。おそらく大正から昭和11年までのもので、「しぐ禮(れ)」とあるから時雨煮かと思われるが容器も中身もなく(あったら怖いが)、ラベルだけが収蔵庫に眠っていた。横長の紙(24.8×10.5㌢)に山並みを背景として、五ヶ所養殖場のシンボルであった湾内の獅子島と養殖いかだを配し、中央にアコヤガイの貝殻と「玉しぐ禮」の文字を置いた意匠です。左側の「三重県五ヶ所浦御木本真珠養殖場精製」の字は六朝風の書体で西川春洞の手を思わせる。
 しおり(16×11.5㌢)もあり、その文言に「真珠は世の人のあまねくめで(愛で)尊むところなれど 珠をそのもとに孕むあこや貝の柱の 味美なることは伊勢人ならでは知るものいと稀なり 或は炙り或はあつもの(羹)にし或は時雨蛤のことく(如く)煮て食うに宜し 珠を弄ぶあて(艶)人の御口にはかなうまじくや」と、擬古文で貝柱のいろいろな調理法を記している。時雨煮に付けたしおりなのか、どうかは不明。
 その御木本の五ヶ所真珠養殖場は明治41(1908)年に開設、大正初期から昭和11(1936)年まで、真珠生産の中心基地であり、最盛期には年間施術貝数1,000万個、従業員は1,000人を超える規模だった。養殖真珠の浜揚げに伴い、大量の貝柱が収穫できるわけで、その利用法として開発・製品化されたものだったのだろう。
 ただしこの時雨煮(?)が実際に御木本養殖場で作られていたかどうかは疑わしい。実は御木本幸吉が真珠を手掛ける前の海産物商時代に懇意にしていた行方庄助という北勢の人物がいた。この人は時雨蛤の改良にかかわっていたので、あるいは行方の手を経たものかと想像が飛躍するが、今のところそれを裏付ける文書などは発見されていない。また、御木本真珠店が「玉しぐ禮」を商品として販売していたという記録も見当たらず、流通ルートは今のところ謎。一枚のラベルとはいえ、解説も容易ならざるなり。
 ちなみに貝柱の美味しい食べ方は塩水で軽くもみ洗い、白醤油とみりんを合わせた液に1時間ほど漬ける。そして5~6粒を竹の串刺しにして冬の寒風に晒すことしばし。表面が乾いたのを見計らって取り込み、とろ火で炙って食すのである。


  「玉しぐ禮」のラベル 缶詰の周囲に巻いたものか


 

「浜揚げ」作業の様子(昭和60年頃)

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