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100. 矢車80年

 開催中の企画展「にっぽん真珠ヒストリア」は大方の関心を集めているようで、会場を遊弋しているとお客様の歩みが緩やかであることに気付く。絢爛豪華な「真珠宝飾五絃琵琶」は大きな魅力ですが、奈良時代や平安時代遺物の推定に基づく再現など、細部にも工夫を凝らしたつもりなので、ぜひ時間をかけてご覧いただきたいと願っています。
 さて、本年2017年は帯留「矢車」が誕生して80年。人間なら傘寿というわけで、記念すべき年です。この機会にと展示の壁面と写真を刷新、遅ればせながら照明をLEDに交換しました。キャプションも書き換え、誕生の1937年(昭和12年)にどんな出来事があったかを付け加えた。双葉山の全勝記録更新、巨人軍沢村栄治投手の活躍が話題となる一方で、盧溝橋事件、日独伊防共協定など、戦線拡大の色彩が濃くなりつつある時代だった。
 その年の1月7日に「矢車」は御木本真珠店工場で完成、20日に真珠店に納品され、5月25日、パリ万国博覧会の日本館で公開されました。万博の公式記録には御木本真珠店が出品したブローチ(と理解された)に触れた記事があり、評判になったことが窺えます。残念ながら展示の様子などはわかっていないが、この品がパリ万博の終了後に売れ、誰かの手に渡ったことは僥倖といって良いでしょう。御木本真珠店は昭和20年1月27日の大空襲により本店を失ったので、売れずに帰国していたとすれば、その後はどうなっていたか。
 この「矢車」の名前を最初に教えてくれたのは銀座のミキモトで理事を務めていた上田恒三さんでした。昭和58年頃、真珠博物館の設立に向けて銀座の人々と交流を持つ中で知遇を得て、同じ伊勢の出身ということもあってか、親しくお声を掛けてもらっていた。当時、すでに老齢の域に達していたが足取りは軽やかで、上京するとよくお昼に「ハゲ天」をご相伴に預かったことなど思い出します。博物館に展示するのに、上田さんからは多くの品を紹介いただいた。そんな中で幻の帯留のことを聞かされた。
 おそらく博物館の展示に最適と思われたのだろう、カタログ「真珠」58号の巻頭ページを示して「矢車があればいいのにね」と独り言のように呟いた。そこに描かれた帯留がパリ万博に出品したものだったことは承知していたが、名前を聞いたのはこの時が初めてだったと記憶している。上田さんご自身は明治44年のお生まれで、昭和12年時点で26歳。御木本真珠店に在籍していたとすれば実際に「矢車」をご覧になったのだろうか。この名前は正式名称か、通称なのか、あるいは、同じカタログの左上に置かれているブレスレットのような品との関係など、聞いておけば良かったと思うこと多々あれど、もう今では遅い。
 ところで御木本真珠店のパリ支店は社史『御木本真珠発明100年史』によれば昭和19年まで存続、駐在員の安藤好男は現地の協力者・コテーに後を託してシベリア鉄道経由で帰国したとある。では、このコテーなる協力者はその後始末をどうしたのだろう。遺された万博の記録を含む文書や手紙、写真などをまとめて古物商に売り払い、それが巡ってパリの場末、古本屋の倉庫の片隅に眠っているかも知れぬ。今でも戦国時代の書状が発見されることがある古本の世界だから、80年前などはつい先日のようなもの。そもそも「矢車」自身が万博の後50年を経て再登場したので、当時の記録写真か、あるいは関連の品、たとえば同じデザインのブレスレットが出ないとも限らない。
 精々アンテナの感度を高めて待つことだ。

 

帯留「矢車」展示の様子

 

カタログ「真珠」第58号

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