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111. 藤島武二と幸吉

 御木本幸吉の交遊について、幸吉記念館ではその一部をご紹介しているに過ぎません。なにしろ96年の生涯、そうとうな人数に上ることはご想像いただけると思います。
 仕事柄、実業界や政界にも知己が多く、伝記を見れば、澁澤栄一、桂太郎、大隈重信、後藤新平、牧野伸顕といった明治大正のビッグネームが次々と現れます。
 海産物商として地元で活躍していた頃には、川村又助、井島茂作、行方庄助といった人々とも盛んに交流しており、館にはこうした交友履歴解明の手掛かりとなる書簡や葉書が多数保存されています。現在、整理と解読を進めているので、より多面的な幸吉の姿が浮かび上がるのではないかと期待が高まります。
 文化人や芸術家との交際については、たとえば洋画家・藤島武二との出会いが乙竹岩造著『伝記御木本幸吉』(昭和25年)にあって、それは次のようなものです。
 昭和八年の盛夏のことである。朝熊山頂の東風館に宿泊し、毎朝四時に起きて西公園の眺望台に立って海東はるかに昇る日の出を観ては、しきりに絵筆を動かしている人がある。やがて筆をおこうとする頃、杖をひきつつ朝露を踏んで上って来る一老人がある。最初の日は画面に見入って感動した面持ちであったが、次の日には、この画家のために適当な所にテントを張ってくれ、そのまた次の日には東風館に命じて朝食をも運ばせてくれる。人影もない暁天の山頂で、この手厚い友情と巧妙な描写とを、たがいに感じあった二人は、どちらからともなく名乗りあったら、藤島武二画伯と幸吉とであった。(後略)
 幸吉は夏の間、朝熊岳山頂の別荘に逗留して、早朝の散歩が日課だったというからありそうな話です。続く後段には「藤島は皇太子御誕生のお祝いに日の出の大作をものせんと思い立ち」とあります。けれども明仁親王のご誕生は8年12月のことで、まだお生まれになっていない。これがこの逸話の信憑性に影を落としています。
では実際の藤島武二の作品はどうか。三重県立美術館やポーラ美術館が所蔵する「日の出 伊勢朝熊山からの眺望」の制作年は昭和5年で、この逸話とは年代が食い違う。三重県立美術館のホームページで公開されている藤島武二の年譜(東俊郎氏編)を見ると、藤島が朝熊岳を訪れたのは昭和5年の夏とあります。
 ところが最近、当館の収蔵庫で藤島武二から御木本幸吉宛ての書簡が確認できました。それは、朝熊岳滞留中に幸吉の知遇と厚情を賜ったことは小生一代の光栄、という丁寧な文面で、その後、記念品を貰ったことに対する礼が述べられている。一見すると伝記のエピソードを裏付けているかに思えますが、その日付は昭和6年9月8日であり、幸吉の伝記とも藤島の年譜とも一致しません。
 今回、書簡が確認されたことで藤島と幸吉の出会いは明らかになりましたが、その時期についてはまだ不確定です。先の年譜には昭和6年の夏に朝熊岳に旅行したという記事はなく、そうすると、昭和5年に知り合って以後の交際に対する礼状ということだろうか。書簡には「毎度親しく」とあるので、一定期間の交際の継続を示していると見れば、ふたりの最初の出会いは昭和5年のことかも知れません。
 ちなみに「東風館」は朝熊岳山頂にあった「とうふや」という旅館のこと。百畳の大広間を持つ山頂唯一の旅館でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤島武二から御木本幸吉宛書簡(部分)

 

 

 

とうふや旅館の外観と室内(絵葉書)

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