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115. 十人会

  昭和5年、御木本幸吉は第1回十大発明家の一人として選ばれ、12月に宮中で賜餐の栄に浴しました。これを名誉として、招かれた発明家たちと十人会を結成、親睦を深めることになります。年長の幸吉と島津製作所の島津源蔵が世話役を務め、まず第一回の十人会を翌年の春、京都の島津邸で開催。昭和8年8月、幸吉は志摩に発明家たちを招待し、第3回目の十人会を催します。その様子を記録した映像が当館に残されており、今回の企画展「御木本幸吉交遊録」で上映中です。
 この会合は乙竹岩造の『伝記御木本幸吉』に記事がありますが、実際の動画には活字ではわからない情景といったものが記録されていて、大変興味深い。もとは16ミリ(白黒、サイレント)で6分ほどの尺で、長らく収蔵庫に保管されていたものです。当日参加した発明家は島津源蔵、丹羽保次郎、本多光太郎、杉本京太、鈴木梅太郎、田熊常吉、密田良太郎の各氏に幸吉を加えた8人で、発明協会の副会長真野文二、それに発明家の家族も数名同伴しました。以下、『伝記』と合わせて行程をご紹介します。
 「8月8日、宇治山田駅前藤屋旅館に集合。神宮に参拝。太々神楽を奉納、終わって朝熊山に登る。眼下に展開する風景を嘆賞した後、山上東風屋に旅装を解き、御木本氏別邸の晩餐会に臨み、第一日目を送る。」(『伝記御木本幸吉』242㌻)
 と、初日の記事は簡単ですが、映像では神宮参道を進む一行の姿、それに続く朝熊岳登山の様子が記録されています。この登山は朝熊登山鉄道を利用、知る限りでは朝熊登山鉄道鋼索線の現存する唯一の動画ではないかと思います。この登山鉄道は大正14年、伊賀の電力王とうたわれた田中善助が敷設したもので、朝熊岳の麓にある平岩駅から山頂駅までを結ぶ10分間の路線でした。平岩駅までは登山鉄道平坦線があり、その始発は山田(現JR伊勢市)駅から延びる市内電車(三重合同電気:後の三重交通神都線)の楠部停留所に隣接、山田駅前から朝熊岳まで交通網が完備していたことになります。さらに山頂駅からはバスの便があり、名刹金剛証寺までを往来。現在の南海電車で高野山を目指す行程と似たアクセスが可能だったわけです。余談ですが、以前「三重の実業家」の回でもご紹介したように、この山頂駅、実は幸吉の別荘のすぐ真下にありました。ところが伊賀の田中善助から登山鉄道敷設について事前に相談がなかったと幸吉は機嫌を損ね、招待された開通式典に出席しないどころか、田中のケーブルには生涯乗らぬ、と広言。山頂までは軌道敷横の通路を駕籠に乗って往来したといいます。ところが実際は、幸吉は新しい乗り物に興味津々だった様子で、何とか口実を見つけて乗ってみたい。十人会での引率はその絶好の機会だったかも知れません(尾崎鉄之助『三重県自動車交通50年史』には昭和10年、東久邇宮様を案内して同乗したのが最初とあり、前回はそちらを採用しましたが、十人会が2年先行)。
 『伝記』によればこの後、山頂の旅館「とうふ屋」での宴会や幸吉の別荘の姿があるはずですが、残念ながら山頂から眼下の風景を写しただけで、翌日、再びケーブルカーで下山する場面に変わります。その後は自動車を連ねて剣峠を越え、五ヶ所浦にあった真珠養殖場、さらに英虞湾の多徳養殖場を訪れます。紙幅が尽きました。この続きはぜひ会場で。

 

 

 

 

 

 

発明家十人会の展示風景

 

 

   上映映像の一部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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