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122. 真珠塔

  フランスの詩人にして外交官だったポール・クローデル(1868年~1955年)の書簡集『孤独な帝国・日本の1920年代』(奈良道子訳 草思社 平成11年)を読んでいたところ、平和博覧会で「有名なミキモトパールの五重の塔」を見たという記述があって。おやと思った。というのも、御木本五重塔は大正15(1926)年、アメリカ・フィラデルフィア博覧会への出品が最初とされていて、それ以前の博覧会で公開された記録はないから。
 平和記念東京博覧会は大正11(1922)年3月から7月までの間、世界大戦後の平和を祈念して上野公園を会場に開かれた博覧会である。ポール・クローデルは駐日フランス大使として3月10日の開会式に立ち会った。3月20日付けの書簡にその印象が綴られているが、会場の雑然とした有様、お粗末な建物群、展示物の水準の低さを酷評し、博覧会自体の開催意義にまで疑問を呈している。書簡は本国の外務大臣に送ったもので外交辞令を除いた本音なのだろう。たしかに博覧会の絵はがきを見ると南洋館や台湾館などの展示館はいかにも安普請で、屋根の装飾や過剰な色彩は悪趣味だとは思うが、お祭りなので大目に見てやって欲しかった。クローデルは展示品についても辛辣な意見を連ねているが、真珠の塔については「美しいというか、奇妙なもの」と微妙な表現で伝えている。この訳文で見る限りかろうじて好意的に受け止めた様子が窺える。
 このときクローデルが見た五重の塔がその後フィラデルフィアで展示されることになったのだろうか。博物館に残る写真のいくつかを比較検討してみると、シロチョウガイと真珠を使った全体の形状は変わらないが、台座と細部の装飾について異同のあることに気付く。
 フィラデルフィア博覧会に出品した、つまり現在博物館で展示している五重の搭は朱漆の台座にシロチョウガイ製の本体が乗っている(写真①)。その形状の写真が大勢を占める中で、台座がなく、搭の先端から最上階の屋根の四隅に向かって真珠の連を付けた画像がある。乙竹岩造『伝記御木本幸吉』(昭和25年)に掲載された図版がそうだが、平和記念博覧会に出品した時の姿はこちらだった(写真②)。
 この博覧会の翌年、大正12年9月1日に関東大震災が発生、銀座の御木本真珠店と装身具工場はともに甚大な被害を被った。記録にはないが、五重の塔もそうとうのダメージを受けたに違いない。修理を施し、漆台座に乗せて心機一転、新たに海外博覧会に出品したものと考えることができる。
 平和記念東京博覧会の顧問を当時建築界の中心的存在だった伊東忠太が務めていたことも見逃せない。伊東は建築史家としても活躍し、法隆寺建築の研究で知られていた。『御木本真珠発明百年史』(平成5年)には、御木本五重の塔は伊東の指導で作られたとあるが、平和博覧会を視野に収めれば、制作に至った構図が浮かび上がってくる。
 余談ながら、真珠の搭は推理小説に恰好の小道具だったようだ。甲賀三郎は博覧会翌年の8月、雑誌『新趣味』に「真珠塔の秘密」を発表、江戸川乱歩は『透明怪人』(昭和26年)と『灰色の巨人』(昭和30年)の少年探偵団シリーズに、横溝正史は「真珠塔」(昭和29年)と姿形や大小は異なるが、様々に使われている。読み比べも一興です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     写真①

 

     写真②

 

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