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133. 秋の日の

 秋の日の午後、伊勢の河崎を散歩。江戸時代、伊勢の物流を担った勢田川に沿って発展した問屋街で、江戸末から明治の家並みが残る。古民家の何軒かは改修され、カフェや雑貨店になっているので、そぞろ歩けば安閑とした時間が過ぎてゆく。宇治内宮前のおはらい町はハレの賑わいだが、こちらには山田の日常がひっそりと息づいている。古本屋もあり、立ち寄って本棚を眺めるのも楽しい。ネット古書店は探索するには確かに便利だが、本の匂いを嗅ぎながら、思いがけない本に出合う喜びはリアル古書店ならではのもの。その「古本屋ぽらん」は地元に関する本棚が充実していて、今回は三冊を仕留めて持ち帰った。散歩と雑学の先達に倣えば、ここで隣の喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら紙包みを開く、というふうでありたいのだが、今日のところは引き上げよう。
 入手した中の一冊が海住春彌著『櫛田川と多気町文芸史』。多気町在住の碩学が編んだ郷土研究書で、櫛田川流域、中でも相可(おうか)の文化について教えられる。松阪市と多気町の境を流れる櫛田川。その右岸を占める相可は伊勢本街道や熊野街道など交通の要衝として栄えた町だ。対岸の射和(いざわ)、中万(ちゅうま)と共に商業が発達し、江戸にも進出、いわゆる伊勢商人の本場のひとつといえる。旧国道42号の両郡橋を中心に古い町並みを良く残しており、自転車散歩にはうってつけの地域だ。
 その相可の豪商だった大和屋西村家の十一代広休(ひろよし)は本草学者としても知られる。詳しくは省くが、天保元年(1830年)、京都に遊学。小野蘭山の高弟山本亡羊の元で研鑽を積むこと18年に及んだ。商売は有能な番頭に委ねて、趣味に精を出す典型的な旦那の生き方か。凡そ学芸は商業が盛んで豊かな土地に発展する。江戸時代の相可や射和の繁栄が窺い知れるというものだ。広休の大師匠小野蘭山は『本草綱目啓蒙』を著して日本の実情に即した本草学を展開。「日本のリンネ」と呼ばれる大学者で、学問の系統としては申し分ない。
 西村広休のメインテーマは本草学の主流である植物研究で、屋敷近くに薬草園を運営するほどだったが、動物、鉱物にも幅広い関心を寄せ、貝類に造詣が深かったという。『櫛田川と多気町文芸史』には広休の収集品として真珠がいくつか記載されている。
 真珠「弘化四年二月求之 淡菜真珠 中津浜甚助」
 真珠貝「文久三年正月廿日 淡菜珠 湯を経者」
 ハマグリシンジウ(ママ)「嘉永元年十二月 時雨蛤ヨリ 文蛤珠」
 ホダガキ「天保十三年五月廿六日」石決明珠
 カキ牡蠣珠「嘉永二年三月三日」紫海蛤珠
 例えば最初の一行の淡菜はイガイ(貽貝)で、その珠を五ヶ所中津浜の甚助なる人物から求めたことがわかる。三番目の時雨蛤からのハマグリ真珠は広休の「お食み出し」だろうか。最後の紫海蛤はヒオウギか、あるいはオオアサリとして知られるウチムラサキの珠かも知れない。入手年月日と入手先を記録しているのでコレクションとして体裁が整っている。このような珍奇な収集品を持ち寄って披露する集まりが薬品会で、江戸時代、各地で開催された。趣味に生きるお大尽同士、話に花を咲かせたのだろう。そして何よりも、暮夜ひそかに収集品を手のひらに置き、矯めつ眇めつ眺める様子が目に浮かぶようだ。イガイの貝殻内面は真珠層なので、それなりに輝きはあったはず。
 真珠の楽しみは第一にその美しさを愛でるところにある。装身具として身を飾るだけでなく、真珠そのものを小箱に収めて、時折、手に取り、弄ぶという扱い方があっても良い。これなら男女問わず楽しめる。
 西村広休の収集品を含む様々な書物や標本類は、没後、博物学者で「日本の博物館の父」といわれた田中芳男の手に移ったが、関東大震災で灰燼に帰した、と海住先生は記されている。実物が現存しないのは残念だが、この書物を通じて江戸末の真珠愛好の姿を思い描くことができた。嬉しい哉。

(2020年9月30日)

 

射和の街並み

 

 

中万。案内板が
整備されている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イガイの真珠(右)と
ウチムラサキの真珠

 

 

 

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