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103. 記念碑 NEW!!

 ミキモト真珠島が「自然と科学の新行楽地」として公開されたのは昭和26年(1951年)のこと。けれど御木本幸吉は養殖に成功したこの島を、昭和4年(1929年)に「真珠ヶ島」として来客用に整備していました。
 残念ながら戦争による中断で、発足当初の「真珠ヶ島」の実態を知る手がかりは多くありません。せいぜい記念写真の背景から様子を窺い知る程度。
 島の施設はその当時から大きく変化しましたが、いくつかのモニュメントが当時の面影を伝えています。たとえば島内に入ってすぐの『真珠ヶ島』の記念碑がそう。
 島内の他の記念碑には解説が付けられているのに、なぜかこの碑にはそれがない。島の誕生を物語る大切な記念碑なのに解説板がないのは、かつてはその由来は周知のこととして見過ごされてきたからかも知れません。
 この碑面は澁澤栄一の手になるものです。
 澁澤については多言を要しません。日本資本主義の生みの親であり、日米親善民間外交を提唱した実業家、国際人でした。御木本幸吉は澁澤との交際を通じて薫陶を受け、「民間外交のバトンはわしが受け取る」と自負していたほど。世界一周旅行中、エジソンとの面会の際には澁澤の紹介状を携えていったと伝記にあります。
 この島を舞台に、真珠を通じて国際親善を展開しようというアイディアは幸吉のものだったか、澁澤のサジェスチョンだったか、記録に明らかではありません。けれど両者の意思が一致した結果だったことはこの『真珠ヶ島』の碑が物語っているといってよいでしょう。
 この碑は昭和4年とされる整備開島の頃から戦争で閉鎖される昭和18年まで、島のモニュメントでした。多くの来訪者がこの碑の前で記念写真に納まっています。場所も現在の位置ではなく、今のパールプラザから記念館方向に向かうあたりだったらしい。昭和28年に幸吉翁の寿像が完成してからは主役の座を譲ったが、島の成り立ちを証言する一級の資料といえるでしょう。
 澁澤栄一はこの碑の他にも昭和3年に帝国発明協会から送られた頌功碑に「千秋放光」の揮毫を残しています。千年もの長きにわたって光を放つ真珠という、幸吉の真珠発明の偉業を讃えた四字です。ちなみに碑の本文は協会会長だった阪谷芳郎男爵、書をしたためた市川進は塔南と号し、三重県の産んだ能書家として著名です。
 この碑も島のモニュメントとして設置されたものと思われ、開島の昭和4年に先行することから、整備事業がその前から行われていた経緯を窺わせる。こちらも記念写真のバックとして多く見ることができます。
 他にも『養真珠』碑、貞明皇后の『御歌碑』、幸吉一代の『家紋制定』碑などがあり、それぞれ島の歴史と大きく関わっています。『養殖真珠第一号記念碑』、『真寿』の碑、山口誓子の句碑、真珠島遺跡発掘の碑、そして幸吉翁の寿像をあわせれば十指を屈することになる。エリザベス女王やシルヴィア王妃の記念植樹などもあって、島の屋外散歩もなかなか見どころ多数。これから北風が強くなりますが、寒さの中でも巡ってみる価値はあります。

 

 

 

 

 

 

 

 『真珠ヶ島』碑

 

来客と幸吉(中央)昭和4年

 

 『千秋放光』碑

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