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108. 今日は何の日 NEW!!

  NHKラジオに「今日は何の日」という早朝の番組がある。タイトルの通り、過去のその日に起こった様々な出来事を伝えるもので、自分が経て来た時代なら、それを糸口にして当時の記憶が蘇ることになる。過去の回想は認知機能の保全に効果的だそうですが、今回は6月の「今日は何の日」真珠島版をお送りします。
 6月7日(1937年:昭和12年)、貞明皇后が真珠島に行啓されました。あいにくの雨模様の中、仮設の浮橋を渡って真珠島に上陸された皇太后陛下は、御木本幸吉の先導で、百数十人の海女がアコヤガイを採る作業と、貝から真珠を採りだす様子をご覧になりました。このご来島を記念して三日間、真珠島は一般に開放されましたが、その間の参観者は3万5千人に達したという。(写真①)ちなみに昭和17年の鳥羽町の人口は9,909人で(『鳥羽市史』)、にわかには信じがたい数です。
 貞明皇后は大正天皇のお妃。この時は皇太后になられて初めての伊勢神宮へのお参りの後でした。皇太后は遠慮なくものをいう幸吉がお気に召して、折に触れて様々な品を下賜されましたが、なかでも竹の杖は上部に黄楊の木を継いで藤の花と霊芝を彫刻した優雅な一品です(「御木本幸吉記念館」に展示)。また、この時、幸吉は家紋のない羽織を着ていたので皇太后は波間に真珠貝と真珠をあしらった紋をお授けになりました。このことは島内の「家紋制定の碑」に記されています。
同じく6月7日(1952年:昭和27年)、高松宮両殿下をお迎えして、貞明皇后の御歌碑の除幕式が行われました。この前年に亡くなられた貞明皇后のご遺徳をしのぶため、幸吉が93歳の時に賜った「寄貝祝」という御歌を高松宮妃殿下のご染筆により歌碑として建立したもので、
 「きみならてたれかひろはむあこやかひ ふふむまたまのひかりみいてて」(あなたでなくて誰がアコヤガイに含まれる真珠の光を見出しただろうか)とあります。小さい碑面ですが、お越しの際にはぜひご覧下さい。(写真②)
6月14日(1981年:昭和56年)、チェリッシュを迎えてパールクラウン結婚式が行われました。多数の応募者のなかから抽選で選ばれたカップルが、人気フォークデュオ・チェリッシュのお二人を立会人として島内で挙式。花嫁の頭上にはパールクラウンⅡ世が輝き、参列者の祝福を受けました。そのチェリッシュの代表曲「てんとう虫のサンバ」は、ちょっと前までは結婚披露宴で新婦の友人一同がお祝いに合唱する定番でした。すっかり結婚式に縁がなくなったので不案内ですが、今でも歌われているのかな。
 昭和のこの頃はジューンブライドに絡ませたイベントが流行りだったようで、6月18日(1969年:昭和44年)、ジューンブライド12組が鳥羽に招待されました。真珠島が雑誌『週刊明星』と共同で企画したもので、鳥羽国際ホテルで夕食を共にして歓談した、と記録にあります。今でいう「コラボ」ですね。
 6月21日(1970年:昭和45年)、ヨルダンのムナ王妃がご来島。この年、大阪で開催された万博を訪れ、その足で立ち寄られました。このお妃は国王フセイン一世(当時)の二度目の夫人で、現国王の母上です。出身はイギリスで、出会いは映画『アラビアのロレンス』撮影現場だったというから、シンデレラ・ストーリー。(写真③)
 6月27日(1962年:昭和37年)、アメリカ宇宙飛行士グレン中佐夫妻来島。この時の中佐の言葉は「真珠の神秘は宇宙の神秘と共通する」というものでした。ジョン・グレン(1921‐2016)はマーキュリー7号でアメリカ初の地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士で、その後は実業界から政界に進出しましたが、77歳にしてスペースシャトルに搭乗、9日間の滞在を行い、最年長記録を打ち立てました。高年齢者の鑑だな。(写真④)
 以上、6月の真珠島版「今日は何の日」でした。
 写真は『御木本真珠島のあゆみ』(1979年)より

 

 

 

 

 

 

 

   写真①

 

   写真②

 

   写真③

 

   写真④

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